コンピューターゲームという趣味は様々な人に受け入れられ、家庭用、スマホ、PCゲームと多様な展開を見せております。
しかし、最近はどんなゲームも【救済措置】が取られ、エンディングを見られるようなゲームが増えております。
救済して貰えるのが当たり前
ファミコン時代~スーパーファミコン時代ですと、ゲームによっては難易度が高い、もしくは攻略法がわかりづらい、とことん理不尽といった内容のゲームも存在しました。
お小遣いを使って、所謂『難易度の高い』ゲームを購入して、にっちもさっちもいかないなんてこともざらにありました。
そんな状況を打破して元を取ろうと腕を上げプレイヤースキルを磨いて切磋琢磨して、そんなゲームをクリアするといった状況もありました。
しかし、ゲームは多くの人に受け入れられるようになり、ゲームをカジュアルに遊びたいという人に受け入れられるために【難易度の設定】が登場しました。
ゲームが得意ではない人でも【イージー(またはそれに似た設定)】を選択すれば、クリアができるというものです。
こういった風土ができあがると【至れり尽くせり】なゲームも出てきまして、チュートリアルは懇切丁寧に進行し、無限にできるコンティニュー、リトライ性の高いセーブポイント、最初から俺つええ状態といった措置がとられるゲームも多くありました。
更に時は流れると【何度かクリアできなければ先のステージに進行できる措置】【そもそもGAMEOVERという概念がない】という、もう『それってゲームなの?』というゲームが出てきました。子供用という事でないのであれば、個人の感想としては『誰でもクリアできるゲームって一体何が面白いのか?』と思う措置ではありますが、そんなゲームの需要は増えていきました。
そして、そんなゲームが増えると『難しくてクリアできないゲーム』には『私でもクリアできるゲーム難易度にして』というクレームが入り、パッチが当てられて難易度が軽減されるゲームも出てきました。
また、そういったサービス対応をした経緯があると『このゲームも難易度低くして!』なんていう要望が出てきてしまい、言えば救済してもらって当たり前という状況が出てきてしまっているんじゃないか?と懸念してしまいます。
クリアできないゲームがあっても良い
最近はゲームの内容を後から変更できるようになりました。これは良い面もありますが、悪い面も含んでしまっていると思います。アップデートすることで、より快適に遊べる、またはコンテンツの追加というのは良い面で嬉しいことではあります。
しかし『難易度を下げる』とか『一部のアイテムの取得率を上げる』というゲームのコンセプトそのものを失ってしまうようなパッチや『難易度の高さ』が売りのゲームで『難しいから難易度を下げて私にもクリアできるようにして』というのは『それは、いかがなものなのだろうか?』と個人的に感じてしまいます。
ゲームは色々なデザインのものがあるのですから、ときには万人がクリアできないゲームがあっても良いと思います。昔は『あのゲームをクリアしたの?凄い!』なんて話もありましたが、今はあまりそういった話は聞きません。『とりあえずストーリーを楽しませる』といったゲームでは個人的には満足できないので、もっとユーザーに試練を与えるような『ユーザーを甘やかさないゲーム』最近で言えばSEKIROの様なゲームがコンスタントに発売するようにもなって欲しいです。
かといって、『似たようなゲーム』が乱発されるのも微妙なので匙加減は難しいとは思えます。二番煎じはよりは実験的な新規IPでやってみて欲しいところです。