ゲームを遊んでいて、楽しく思える要素は沢山ありますが、最近は「悔しい」という感情が湧くゲームが楽しいと思えるようになりました。
昔は「ゲームで頭に血が上るなんてみっともない」なんて思っていましたが、加齢もすると日常から平穏を保ち穏やかに過ごすことを優先して暮らしていると、感覚も麻痺しがちで、悔しさに奮起することは少なくなってきます。
特に趣味あたりで悔しさ溢れてチックショオオオ!なんて感覚も薄れます。
ヌルいゲームが増えた
最近はユーザーに優しいゲームが増えてきて、ゲームオーバーに対するリスクが取り除かれたゲームも増えてきております。操作性もよく、遊んでいてノンストレスなのは良いのですが、ときに思考することすら必要なく、プレイヤーがボタン押しマシンくらいのゲームもあります。
しかし、こういったゲームは簡単だからこそ、悔しさも感じられないことが多いのです。ゲームオーバーになっても「あー、やられた、はいはいやりなおーし」と作業的になってしまいます。
そんなことを繰り返していると緊張感もなくなり、遊んでいて眠気に襲われてしまい、モチベーションも保てなくなります。
少しくらい意地悪な方が良い
ゲームを遊んでいる上で、個人的な楽しみは試行錯誤することです。攻略要素と言ってもいいですが、いかにリスクを避けて、リターンを求め効率を図るか?その求めた効率の上で最大限のプレイヤースキルを引き出すためには、どういったことを今自分が行わなければならないのか?そんなことを考えながら遊ぶゲームが楽しいと感じられます。
そして、その効率を求めつつも、CPUが嫌らしい攻撃をしてきたりすると、その行動も予測しながら試行錯誤を重ねて、更に操作が難しかったりすると更に燃えてきます。
ときには嫌らしすぎて「こんなんクリアできるかー!?」というコントローラーをぶん投げたくなるような要素が用意されているゲームもありますが、最近はその感情を持てるくらいのゲームの方が楽しいと感じるようになりました。
悔しさは没頭している証拠
悔しいという感情が芽生えるゲームは、裏を返すと「こうだったら、なんとかなったのに!」という、あと一歩で攻略できる余地かあるからです。
攻略の余地もなく「ダメだこりゃ/(^o^)\」ってなるゲームは、そもそも悔しいなんて気持ちにもなりません。逆に簡単すぎるゲームも、上述したように「あー、ハイハイ」ということで、悔しさも味わうことはありません。悔しいってことは「丁度良いくらいのハードルに出会えた」ってことなんじゃないかと私は思うのです。
格闘ゲームでも、一気にパーフェクト勝ちを奪われるようなプロプレイヤーと遊んでも、悔しいという気持ちより「はえー、すっごい」くらいの気持ちで留まってしまいます。しかし、実力が均衡しているくらいのプレイヤーとの対戦で負けると、「惜しかった!悔しい!」という気持ちになります。
悔しいと感じられるのは、やはり自分の中で一番楽しいゲームなんじゃないかと最近考えております。
去年悔しかったゲーム
去年はセキロとサムスピあたりで、この悔しい!という感情を多く感じていたと思います。セキロの獅子猿なんかは、悔しすぎて発狂しそうでしたが、倒したときの達成感は相当なもので、ガッツポーズがナチュラルに出てしまうほどでした。
サムスピも、ある程度実力が均衡しているレベル帯では負けると悔しいながらも切磋琢磨できました。だんだん対戦キャラが牙神と徳川と覇王丸しか居なくなって飽きてしまいましたが、対戦が過疎化する前はかなり楽しめたと思います。負けて悔しいと感じるゲームは「今、このゲームで俺は本気になっている!」と感じられて嬉しいです。
まぁ悔しいときは、本当に悔しくて悔しくて、ベジータのように語源を荒げて怒ってますけどね(笑)
本気で楽しめるゲーム
最近はとくに、チョロチョロとかいつまんでは、積んでしまうゲームが増えてきて、ゲームに本気になっていないような自分を感じると、なんかゲームに申し訳ない気持ちになることもあるんですが、やはり悔しいと思えるくらいのゲームの方が「クリアしてやる!」と、モチベーションを保てると感じます。
稀に、あれ?クリアしちゃった?なんてゲームもありますが、悔しいくらいになる気持ちで取り組めるゲームが好きなので、今後もそんなゲームに出会えると嬉しいです。