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思い出補正ありきで昔のゲームと今のゲームを比較するデメリット

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先日ドラゴンボールを先輩に進められて読んだ後輩が感想について『やや面白くない』だったというニュースが話題に上がっていました。

私はドラゴンボール世代なので面白かったと思いますが、アニメやゲームの感想、感じ方は十人十色千差万別なので、こういう感想を持つ人もいるでしょう。

この話題を見て、出会うタイミングやシチュエーションが悪かったとも思います。自分から読みたいと思って読んだら、もしかしたら、また違った感想かもしれません。

私もゲームを無理矢理オススメされてプレイしたら、多分違和感を感じるし、評価は自分が思った感想よりも1段階か2段階は下がってしまうかもしれません。

加齢すると美化しがち

『昔は良かった』ではありませんが、人は誰しも自分が経た経験は美化しがちです。楽しいことも辛いことも増幅されてしまうことが多いと思います。

私も実際そうだと思います。しかし『思い出補正』を考慮しないで、昔味わった感動と今味わった感動を比較するのは問題だと思います。

確かに昔プレイして今でも心に残っているゲームは個人の中では伝説級です。しかし、久しぶりにプレイすると以外に途中で飽きてしまうことも多いし『いや~やっぱり面白いね(最後まではプレイしないけど)』となることが多いです。

そして、今のゲームの親切な設計に慣れてしまうと、過去のゲームを遊ぶとやはり辛い部分を多く感じます。最近のゲームは最近のものだけに、やはり快適になっている部分が多いのです。

しかし『昔のゲームはこんな苦労があって、快適ではないシステムなりに創意と工夫で楽しんだんだぞ?』と言っても若い世代からしてみれば『ふーん』ととれることでしょう。

昔はこんなに凄かった!と言いたいことは理解できますし、私もやってしまいがちですが、経験をしていないことについて華々しく語って今を貶しめしては意味が無いと感じます。

世代や顧客に合わせてゲーム性も変わる

昔はゲーム数やジャンルも少なかったのですが、今はジャンルに多様性があり、スマートフォンというプラットフォームによりゲームも無料で遊べてしまいます。

私はいまだにスマートフォンのゲームの面白さが見出せずにいますが『それはそういった需要があるもの』と割り切っております。ゲームをプレイする人全員が、同じゲーム性を求めているわけではないからです。

スマートフォンやブラウザゲームは達成感よりも爽快感や共有感を大事にしていると思います。性能の良いキャラクターを仲間を引き当て、数や物量で圧倒するゲームが多いと感じます。

アニメなんかでも異世界モノで無双するモノが流行しているのを見ると、そんな時代なのかな?と感じてしまうことが多いです。

そんなゲームやアニメが流行する時代に、昔の思い出で美化されたゲームを語るよりも、経験則を話すだけで興味を持ってもらえたら良いのかな?ぐらいに留めないと、逆に悪い印象を与えてしまいかねないと思えました。

まとめ

今のゲームも昔のゲームも時代の象徴であるし、昔から改善されて今のゲームも存在しますし、また昔のゲームをリスペクトしたゲームもあるのだと思います。

そして、昔にも無かったような野心的なゲームも生まれてきていると思えます。私も一時期は昔のゲーム至上主義の様な考え方をしておりましたが、今は、この時代だからこそ生まれてくるゲームのうち自分にあったものを取捨選択するのが楽しいと思えます。

確かにゲームの数がありすぎて、どれを選んで良いかわからないですし、人が褒めているゲームが自分に合っているとも限らないです。

また、自分がベタ褒めするゲームが他人に合っているとも思えません。また最近はなにかにつけて批判をした人を叩く風潮があるのが、ちょっと悲しいところでもあると思えますが、個人の感想が一気に広まるネット世界というものの使い方が難しいとシミジミ感じます。

私もやってしまいがちですが、昔のゲームを思い出補正で語って、昔のゲームをプレイしていないプレイヤーのことを貶してしまうこと。そして今発売されているゲームを貶す、そしてそのゲームをプレイしている人を貶すようなことだけはしないように気をつけたいところだと思います。